鈑金屋から、地域の”なんでも頼れる車屋”へ ― 指定整備工場になるまでの話

このたび、木本自動車は「指定整備工場」の認定をいただきました。
指定整備工場というのは、国に代わって車検の最終検査を行うことができる、民間の自動車工場として最高位の資格です。鳥取県ではこの制度が始まって以来、認定番号は通し番号で管理されていて、一度使われた番号は二度と再利用されません。
私たちに与えられたのは320番。鳥取県の長い歴史の中でも、320社しか認められていないということです。
ここにたどり着くまでに、10年以上かかりました。決して順風満帆な道のりではなかったし、一度はやり直しにもなっています。でも関わってくださった方々との出会いや、お客様からの何気ない一言が、いつも次の一歩を教えてくれました。
少し長くなりますが、私たちがどうしてこの道を選び、何を大切にしてきたのか。その話をさせてください。

始まりは鈑金塗装の専業店だった
木本自動車はもともと、鈑金塗装ひとすじの町工場でした。車のへこみやキズを直す。それだけを何十年とやってきたお店です。
現社長が会社を引き継いだのは38歳の時。正直に言うと、その頃の会社の状態は良くありませんでした。売上のこと、管理のこと。社長自身が「負の遺産」と振り返るほどで、新しいことに手を出すような余裕はどこにもなかった。とにかく目の前の鈑金の仕事で、一台でも多くお客様の車を直す。40年以上続いてきた看板を守ること、それだけで精一杯の日々でした。
事業を広げるなんて、考えもしなかった。
でも、転機は思いがけないところからやってきます。
「覚悟があれば誰でもできる」― 人生を変えた一言

ある会合で、山口県の社長さんと出会いました。何か面白いことはないかと木本社長の方から声をかけたのがきっかけです。
するとその社長さんの知り合いにレッカー・ロードサービスをやっている方がいて、この10年で車両も右肩上がり、しかも45度どころじゃない勢いで伸びているという。「その社長さんを紹介してください」とお願いして、実際に話を聞きに行きました。
そこで言われた言葉が、今でも社長の根っこにあります。
レッカー・ロードサービスは24時間365日。全国の保険会社と契約して対応するけれど、実際にそれをやりきれている会社は3割程度しかない。「なぜできないか分かるか?」と聞かれて、「人の問題ですかね」と答えたら、こう返されました。
「いや、違うよ。覚悟なんだ。自分が絶対にやると決めた覚悟があれば、誰でもできるんだ」
この一言が、衝撃でした。
「じゃあ、俺が覚悟すればできるんだ」。社長自身も認める通り、ちょっと単純なところがあります。でもその素直さが、行動に変わりました。
帰ってからレッカーのことを調べ始め、紹介がまた紹介を呼んで、岡山の社長さんが「負担にならんように、レッカー車を1台中古で作ってやるよ」と言ってくれた。
そしてもう一人、欠かせない存在がいます。社長の奥様です。「5年間、一緒にやってくれ」と頼んだら、「いいよ」と言ってくれた。
山口と岡山、二人の社長さんの厚意と、奥様の「いいよ」の一言。木本自動車がレッカー・ロードサービスを始められたのは、この人たちのおかげです。たまたま補助金にも恵まれて、金銭的な負担も大きくはならなかった。タイミングや運もあったと思います。
でもその運を引き寄せたのは、「覚悟」を決めたあの日だったのだと思います。
お客様の声が、次の一歩を教えてくれた

レッカー・ロードサービスを始めると、思ってもいなかった言葉をお客様からいただくようになりました。
「お宅で修理できないの?」「車も売ってないの?」
鈑金塗装とレッカーしかやっていなかった私たちにとって、それは嬉しい驚きでした。頼りにしてくださっている。もっと期待に応えたい。その思いが、次の一歩につながっていきます。
もともと鈑金塗装の仕事では、足回りを損傷した車を扱う際に「分解整備」の資格が必要になる場面がありました。そのために「認証工場」の資格を取得していたのですが、車検整備にまでは踏み込んでいませんでした。
理由はシンプルで、当時の取引先の多くが車検整備をやっている会社だったから。鈑金屋が車検を始めたら、商売の邪魔をしていると思われかれない。
だから鈑金に関わる分解整備だけ。それ以上は手を出さないようにしていたのです。
でも、お客様の声は止まりません。自社の車を車検に出す機会が増え、「うちでも車検できないの?」という声が少しずつ大きくなっていく。「じゃあ、ちょっとずつやろうか」。そうやって始めた車検整備が、やがて車の販売にもつながっていきました。
振り返ると、最初から壮大な計画があったわけじゃないんです。お客様の声に一つずつ応えていたら、鈑金→レッカー→認証工場→車検整備→車両販売と、点が少しずつ線になっていった。その線の延長に「指定整備工場」という目標が見えてきた。
お客様が購入から車検、整備、そして最終的な廃車まで、一つの工場で全部完結できたら。それはお客様にとっての安心であり、この地域で他にはない価値になるんじゃないか。そう考えるようになりました。
悔しさをバネに ― そして指定工場へ
実は、認証工場を取る前に忘れられない出来事がありました。
当時、あるディーラーさんに入らせてもらって鈑金の仕事をしていたのですが、そのディーラーが拠点整理をすることになり、真っ先に切られたのが私たちでした。付き合いが浅かったから。その後、新しい担当者に何度かけ合っても仕事はゼロのまま。最後に言われた一言が、「お宅、まだ認証工場持ってなかったですよね」。
悔しくてしょうがなかった、と社長は振り返ります。
「絶対に取ってやる」。そう心に決めた。ただ、認証工場の取得には有資格者が必要で、社長自身も資格は持っていない。すぐにはどうにもならず、しばらくはもどかしい時間が続きました。でも、レッカーを始める頃にはその認証工場も取得し、鈑金の分解整備から車検整備へ、少しずつ事業の幅を広げていくことができた。あの悔しさがなければ、動き出すのはもっと遅かったかもしれません。
そして次に見据えたのが、指定整備工場です。
2018年、19年頃から、自動車業界は「100年に一度の大変革期」に入ると言われ始めていました。安全装置がどんどん高度になり、コネクティッドやIoTが当たり前になっていく。その未来を見据えた時に、指定工場でなければ対応できない仕事がどんどん増えていくのではないか。社長にはそういう確信がありました。
もう一つの理由は、お客様のことです。車の購入から車検、整備、最終的な廃車まで。一社で全てを任せてもらえる体制を作ることが、お客様にとっての一番のメリットになる。そしてこの地域で、それを専任を置いてやっているところはない。他社との差別化という意味でも、指定工場は必ず必要な到達点でした。
ただ、その道のりは想像以上に厳しいものでした。
昨年5月から指定取得に向けて動き出し、必要な車検台数はクリアしていった。けれど、台数だけではダメだった。
内部の管理体制、社内規定の整備。そこが全然足りていないと指摘を受け、一度リスタートをかけることになったのです。
折しも、ビッグモーターの不正問題やトヨタ・ダイハツの不正車検など、業界全体で大きな問題が相次いでいた時期。大手でさえ不正が発覚する中で、私たちのような小さな工場が認定を受けるには、「本当にちゃんと法令を分かっていますか?」という厳しい目が向けられました。
やり直しの判断が出た時、正直こたえました。でもそこで諦めるという選択肢はなかった。むしろ「ここで甘いまま通らなくてよかった」と、今では思っています。
「今までの経験で大丈夫だろう、ではダメ」

リスタートしてからの日々は、勉強の連続でした。
指定工場の検査員や事業場管理責任者は、国からは「みなし公務員」として見られます。
国の基準に準じたことをやらなくてはいけない。オリジナルのやり方は通用しません。法令をしっかり理解した上で、自分たちの規則を一から作り直す。その作業に、現場も管理側も全員で取り組みました。
特に大きかったのは、再検率3%という壁です。
指定工場として認められるためには、検査を通した車のうち、不合格になる割合を3%以内に収めなければならない。60台で3%ということは、2台を超えるとアウト。もし超えてしまったら、3%以内に収まるまで追加で台数をこなす必要がある。しかも2台が3台に増えると、必要台数は一気に跳ね上がる。
近年の車はLEDヘッドライトやオートレベリングなど、新しい技術がどんどん搭載されています。それに合わせた検査のやり方を知らなければ、意図せず再検査になってしまう。実際にそれで引っかかり、「じゃあどうすればいいんだ」と作業書を取り寄せて、現場のスタッフと情報を共有し、次からの手順を一緒に決めていく。そんな打ち合わせを何度も重ねました。
うちには検査員が2人いますが、どちらもこの道35年を超える大ベテラン。以前は別の指定工場で働いていた経験の持ち主です。しかし、認証工場から新たに指定を取得するというプロセスに立ち会うのは初めてのこと。これまでの経験がそのまま通用するわけではありません。
「今までの経験でこれで大丈夫だろう、ではダメだよ」。社長はこの言葉を何度も伝えたと言います。
長年の職人としての誇りがある人たちです。すんなりとはいかない場面もあった。これまで任せていた部分に口を出すことになるわけですから、折り合いがつかないこともあったでしょう。でも一人ひとりと向き合い、なぜこの基準が必要なのかを共有し続けた。お客様の安心を守るために、全員が同じ方向を向く必要があったからです。
そして認定が下りた日。検査担当の方から言われたのは、こんな言葉でした。
「周りの指定工場の見本になるような体制を整えてください」
嬉しい言葉でしたが、同時に重い言葉でもありました。指定工場には定期的に監査が入ります。条件を満たさなければ、いつ認定を取り消されてもおかしくない。国は「やってください」というスタンスではなく、「条件を満たさなかったらいつやめてもらってもいい」というスタンスです。
取って終わりじゃない。ここからが本当に大事な取り組みになる。石にかじりついてでも、この看板を守り続けていく。それが、認定を受けた日に改めて固くした決意です。
1日車検で変わること ― 往復100kmがなくなる安心

指定整備工場になったことで、お客様にとって一番大きく変わるのは「1日車検」ができるようになったことです。
これまで木本自動車で車検整備を受けていただいた場合、最終的な検査は鳥取市にある陸運支局まで車を持ち込む必要がありました。琴浦町から鳥取の陸運支局まで、片道およそ50km。往復で100kmの道のりです。
100kmと聞いてどう感じるかは人それぞれかもしれません。でも、大事に乗っている車であればあるほど、気になるものです。タイヤだって摩耗する。どんなに安全運転をしていても、走っている以上は事故のリスクはゼロにはならない。相手からもらうこともある。お客様の大切な車をお預かりしている以上、その100kmはずっと気がかりでした。
実際に、「鳥取まで持っていかなくちゃいけないの?」と聞かれて、「まだそうなんです」とお答えしたところ、お断りになったケースが昨年だけでも何件かありました。あの時指定工場を持っていたら、お任せいただけたかもしれない。そう思うと、悔しさが残ります。
指定整備工場になった今、車検の最終検査は自社の設備で完結できます。
お客様の車を遠くまで運ぶ必要はもうありません。朝お預かりして、その日のうちに車検整備を終えて、お返しする。それが木本自動車の「1日車検」です。
大事にしている車だからこそ、できるだけ近くで、信頼できる人の手で見てほしい。そう思ってくださるお客様の気持ちに、ようやく応えられる体制が整いました。
次の50年を見据えて ―「人が来たいと思える会社」へ

指定整備工場の認定はゴールではなく、ここからがスタートです。
まず近い目標として取り組んでいるのが、「記録事務代行」の取得です。現在の仕組みでは、自社で車検の最終検査を行った後に「保安基準適合証」を発行し、その有効期間15日のうちに鳥取の陸運支局まで書類を持っていって新しい車検証を受け取る、という手順が残っています。記録事務代行ができるようになれば、車検証の発行まで全て自社で完結できる。
お客様は1日車検を終えたその日に、新しい車検証を手にしてお帰りいただける。本当の意味で、どこにも行かなくていい車検が実現します。
もう少し先の話もさせてください。
今、自動車業界では自動運転の技術が少しずつ現実のものになりつつあります。ただ、みなさんが思い描く「どこでも自動で走ってくれる車」と、今国が取り組んでいる自動運転の実態には、まだかなりの開きがあります。現時点では高速道路の一定区間に限った実証段階で、しかもまずはトラックから。一般の街中での実用化には、まだ多くのハードルが残っています。
街中には人がいて、子供がいて、自転車がいる。あらゆる情報を一瞬で判断しなくてはいけない。万が一事故が起きた時に誰が責任を取るのか。技術だけでは解決できない倫理的な問題もある。完全な自動運転の時代は、まだ先のことでしょう。
でも、その時代は必ず来ます。
そしてその時、自動運行装置を整備するためには自動車整備士の「1級」が必要になります。
これは鳥取県内でも十数人しか持っていないほど難しい資格です。大手ディーラーは間違いなくそこに向けて人材を揃えてくる。私たちのような小さな工場が生き残っていくためには、今から準備を始めなくてはいけない。
だからこそ、若い人材を迎え入れ、勉強できる環境を整え、1級整備士の取得を目指せる会社にしていきたい。技術を学び、資格を取り、それに見合った待遇をきちんと用意する。そうすれば「この会社で働きたい」と思ってもらえるかもしれない。成長できる場所に、人は集まってくるはずだから。
100年後には、空飛ぶ車が当たり前になっているかもしれません。飛行機の原理を理解した上で整備する技術者が必要になるかもしれない。夢みたいな話に聞こえるかもしれませんが、50年前に今の車の姿を想像できた人もそういなかったはずです。
今の仕組みをしっかり守りながら、次の50年に向けた基盤を一緒に作っていく。木本自動車は、そういう仲間を待っています。
木本社長からお客様へ

指定整備工場として、国の検査の代行機関という認定をいただきました。
でも、取ったことがゴールではないと思っています。今後より一層、技術も法令の理解も進化させていくことが必要です。これは私一人の話ではなくて、社員みんながそこを高めていく努力をしてくれると信じています。お客様から安心して任せていただけるだけの環境を整えるのが、私の仕事です。
まだまだ足りないところはあるかと思いますが、一生懸命、期待に応えてまいります。どんなことでもお声がけいただけたらと思います。
社長がスタッフに常々伝えていることがあります。
整備の説明をする時、専門用語を使うこと自体は構わない。でもその言葉が何を意味するのか、お客様が理解できるように話さなくてはいけない。自分が説明した気になっているだけの「自己満足の説明」になっていないか。相手に伝わらなければ、説明したことにはならない。
挨拶だってそうです。声を出しただけでは挨拶にならない。相手に届いて初めて挨拶になる。
整備についても同じ。お客様は車の専門家ではありません。素人さんが乗ることを前提に、必要なことだけでなくリスクもきちんと説明する。言われるがままに整備を受けて、後から「聞いてなかった」となれば、それは信頼を損なうことになる。
だからこそ、伝わる言葉で、正直に話す。
それが木本自動車のスタッフに求められていることであり、私たちが大事にしていることです。
木本自動車という工場のこと
私たちの一番の強みは何かと聞かれたら、「レスポンス」だと思います。
お客様が困ってやって来られた時に、「忙しいから後で」という人間はうちにはいません。ちょっと音がしておかしいんだけど、と言われたら、まずすぐに見る。それから対応をどうするか考える。工場長はとにかく、人に声をかけられたら放っておけない性格。そういう人がいる工場です。
検査員は2人とも、この道35年を超えるベテランです。最新の車はもちろん、古い車も診ることができる。また外国人スタッフが在籍しており、輸入車にも対応できます。軽自動車から中型車、国産車から輸入車まで、幅広い車を扱える体制が整っています。
事務スタッフについても少しだけ。来店されたお客様への対応やお茶出しなど、基本的なマナーは伝えていますが、それ以上は本人たちが自分で考えて動いてくれています。琴浦という地域の温かさもあるのかもしれません。
初めていらっしゃったお客様にも、気負わずに過ごしていただける雰囲気があると思います。
木本自動車は、大きな会社ではありません。最新の設備が全て揃っているわけでもない。でも「この人たちになら任せられる」と思っていただけること。それが私たちにとって何より大切なことであり、指定整備工場としてこれから先もずっと守り続けていきたいものです。
鈑金塗装の小さな専業店から始まった木本自動車は、お客様と出会い、人に恵まれ、ここまで来ることができました。これからも一台一台、目の前のお車と誠実に向き合ってまいります。